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Hizuru Pilgrimによる徒然なるブログ。
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一現役ボカロPとして自身の読書メモも兼ねて、また特に現在ボ―カロイドを用いて活動をされている方、これからボーカロイドを使ってみたい、ボカロカルチャーに興味がある、という方に向けてもの凄いざっくりと要点だけまとめてみました。今回は『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』まとめ前編に続く中編。いよいよ初音ミクが発売になり、ボカロカルチャーが形成されていく勃興期から、隆盛期にかけてのお話です。個人的な尺度により端折った部分が多々ありますので、興味を持たれた方は是非、本を手にとって読んでみてね!

<第二部>

第五章 「現象」は何故生まれたか

ニワンゴ・杉本誠司氏は、ニコニコ動画のユーザーに初音ミクが受け入れられた背景に、MAD文化の著作権侵害問題があったと指摘する。「多くのユーザーがやりたいことは、単純に音楽を聴くことではなく、日常的にみんなで一つの話題を共有する会話空間を作ること、またその話題を提供する役回りになることだったんです。そのことに気づいたユーザーたちは『商用のコンテンツを用いたものを投稿すると削除されてしまうのであれば、代用できるものを探そう』と考えた。初音ミクは最初は『代用品』として受け入れられていったのだと思います。」

2007年8月31日の初音ミク発売後、9月13日にOSTER Project『恋するVOC@LOID』が、9月20日にikamo『みくみくにしてあげる♪【してやんよ】』がニコニコ動画に投稿され、大きな注目を集める。この2曲の評判から、ボーカロイドでオリジナル曲を作る流れが生まれる。

クリプトン社・伊藤氏も初音ミクが作り出した新しい状況を目の当たりにすることになる。「まず動画サイトに楽曲が投稿された。それは特に驚くことではないし、ある意味当然のことだった。びっくりしたのは、星の数ほどイラストがネットに上に投稿されたこと。また、誰かが作ったコンテンツを元に、それをさらに上書きするようなコンテンツが生まれ、それが日々公開されていた。」初音ミクは、アマチュアの表現がネット上で互いに呼応する、一つの新しい文化現象を生み出したのである。あらゆるコンテンツが互いに元ネタになって派生しあう「N次創作」の現象が生まれた。

11月には、再生数、コメント数、マイリスト数をポイント集計した「週刊VOCALOIDランキング」というチャート番組風の動画がsippotan氏により投稿され、毎週更新されるようになる。「どんな動画、どんな曲が受けているか」が可視化されたことで、コミュニティは徐々に大きくなっていった。

同年12月3日、クリプトン社はコンテンツ投稿サイト「ピアプロ」を開設し、「キャラクター利用のガイドライン」を発表した。初音ミク発売直後から、クリプトン社には利用許諾に関する問い合わせが相次いだという。創作の連鎖を促進するために、自分は何をすべきか?伊藤氏は考えた。初音ミクは、ユーザーたちの創作を結びつける「ハブ」のように機能していた。しかしキャラクターの公式イラストの著作権はクリプトン社が持っている。この「原則NG」を「原則OK」に転換すべく発行されたのが、「キャラクター利用のガイドライン」だった。

ボーカロイドの現象は何故生まれたのか?それは初音ミクというキャラクターがクリエイター達の想像力を喚起したから、そして初音ミクという一つの「ハブ」を元に創造の連鎖が起こったからだった。目的はまず自分の満足。そして自分の属するコミュニティでそれが認められたら何よりの報酬になる。そういった行動原則をもつクリエイター達が、偶然のタイミングのもとに集まった。初音ミクは単なるキャラクター人気としてのブームではなく、クリエイター達の創作が重なりあうムーブメントとして広まっていったのだ。

第六章 電子の歌姫に「自我」が芽生えたとき

次第に、初音ミクのキャラクターだけでなく、作り手であるボカロPにも注目が集まり、クリエイターが人気を獲得する流れが生まれてくる。先駆者となったのは、後にlivetuneとしてデビューを果たすkz。彼は初音ミク発売後のわずか1ヶ月後、2007年9月25日にオリジナル曲「Packaged」を投稿している。そしてもう一人、後にsupercellのサウンドコンポーザーとしてメジャーデビュー果たすryoだ。彼が同年12月7日にニコニコ動画に投稿した「メルト」は、その後のシーンの流れを決定づける大きな意味を持つ曲になった。

「メルト」のヒットは、作家としてボカロPの存在に光をあてるきっかけになった。そして、もう一つ、この曲はキャラクターとしての初音ミクの役割を大きく広げた曲にもなった。初期のボカロ曲は、「パソコンの中にいるみんなの歌姫」である初音ミクを主役にして歌詞を書いたものが中心だ。しかし、「メルト」の歌詞の主人公は初音ミク自身ではなく、ryoが思い描いた少女。その心情をミクがシンガーとして表現する。この曲は初音ミクがシンガーとして「ポップソング」を歌って広く受け入れられた初めての曲になった。以降、 ボカロ曲は作り手の心情を投影した楽曲として、クリエイターの個性や世界観に注目が集まるようになる。

「メルト」が巻き起こした現象は、実はもう一つ、その後のシーンの流れを決定づける重要な側面を持っていた。アマチュアの「歌い手」が、派生作品の一種としてボーカロイド楽曲を歌う「歌ってみた」動画の投稿が始まったのである。端緒を切ったのは、ryoが「メルト」の原曲を投稿した5日後、12月12日に「歌ってみた」動画を投稿したhalyosy。翌日にはやなぎなぎによる「歌ってみた」動画が投稿され、その日のニコニコ動画の総合マイリスト登録ランキングで一つの曲が上位を独占する「メルトショック」とよばれる自体を巻き起こす。これが人気の爆発に火をつけた。

第七章 拡大する「遊び」が音楽産業を変えた

2008年8月に、livetuneがビクターエンターテインメントから、2009年3月にはsupercellがソニー・ミュージックエンターテインメントからメジャーデビューを果たし、アルバムはオリコン週間ランキングではそれぞれ五位、四位を記録した。初音ミクを用いた楽曲がヒットチャートに乗ったことは、ボカロPたちにとっても、それを楽しんできたネットユーザーたちにとっても、快挙と受け止められる出来事だった。音楽業界側も、少しずつ新しい波に気づき始め、2009年からは、ボーカロイド楽曲を集めたコンピレーションアルバムが企画され、ヒットを記録するようになる。こうして、初音ミクはヒットチャート上に存在感を示していく。

2009年以降は先駆者となった、livetuneやsupercellの成功に刺激を受けたクリエイター達が、続々と脚光を浴びていった。たとえば、2009年にそれぞれ「二足歩行」「エレクトリック・ラブ」というヒット曲を投稿したDECO*27と八王子Pは、ともにlivetuneに憧れてボーカロイドを手にした作り手だ。彼らのようなクリエイターが憧れる目線の先には「電子の歌姫」としての初音ミクだけでなく、それを駆使して新しい音楽表現の可能性を切り開き成功を果たしたクリエイターの姿があった。キャラクターへの愛情が表現を駆動していた2007年~2008年にかけての時期と違い、先達クリエイターへの憧れをモチベーションにしたボカロPたちが登場し始めた。それが2009年から2010年にかけての変化だった。

この時期は、ボーカロイドシーンに商業化の傾向が生まれ、その波が徐々に音楽業界にも地殻変動を起こしていた時代だった。そのことを示す一つの徴候として、カラオケの年間ランキング上位に、ボーカロイドを用いた楽曲が登場し始めたことが挙げられる。しかし当初は、カラオケでいくらボーカロイド楽曲が歌われても、その曲の作者に印税収入が入ることはなかった。カラオケ店から徴収された著作権使用料の分配を受けるためには、JASRACに自分の作った楽曲を信託する必要があったのだが、ほとんどのボカロPがそうしなかったのである。

新しい動きが生まれたのが2010年夏、「ニコニコ生放送」で行われた討論番組だった。その時の様子をJOYSOUNDを運営する株式会社エクシング企画担当の小林拓人氏はこう語る。「ニコ生でやった討論番組は、その後の考え方の軸が生まれる一つのきっかけになったと思います。そこでカラオケにおける著作権の仕組みも広く知られるようになりましたし、手法としてはJASRACに預けるのが一番いいのではないかというムードが生まれた。これを機に各社準備を始めて、2010年11月くらいのタイミングで、特定支分権だけをJASRACに信託する形になりました。」この「部分信託」の仕組みによって、ボカロPたちはネットでの自由な楽曲の使用を許諾しながらカラオケによる収入を得ることが可能になった。

※ボカロ曲のカラオケ関連の話に関しては、コチラもとても参考になると思います!歌いにくいからこそ歌われる――ボカロ曲がカラオケで人気な理由、JOYSOUNDに聞いた カギは「攻略」

2009年には、ボーカロイドによる初の本格的なライブイベントも開催された。端緒を開いたのは、スタジオコーストで行われた『ミクフェス'09(夏)』だ。舞台には透過式のスクリーン(ディラッドスクリーン)が置かれ、そこに裏側から初音ミクの姿が投射される。透明スクリーンの背後にいる演奏陣と一緒に映し出された「まるでそこにいるかのように」見える初音ミクに向かってファンが盛り上がる。

そして、ステージという「場所」を獲得した初音ミクは、いよいよ海外への進出も果たすことになる。2011年5月には、米国トヨタのCMに初音ミクが起用される。そして、同年7月2日には、アメリカ・ロサンゼルスで初のアメリカ公演『MIKUNOPOLICE in LOS ANGELES 初めまして、初音ミクです』が開催された。ほんの数年前に、ネット上の「遊び場」から始まった新しい文化は、こうして2011年の夏、世界にまで届いたのだ。
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プロフィール
HN:
Hizuru Pilgrim
性別:
男性
自己紹介:
09年インディーズレーベル"What a Wonderful World"を立ち上げ、同名のコンセプトアルバムをリリース。トラックメイキングの傍らドラムンベースDJも少々。

現在はmirgliP名義でのボカロ曲投稿を中心に活動中!これまでの投稿動画はコチラ

twitter : @mirgliPilgrim
Mail : pilgrim_breaks@hotmail.co.jp


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