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Hizuru Pilgrimによる徒然なるブログ。
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昨今の音楽の主な消費者層は10代~20代の若年層と言われていますが、僕も一音楽クリエイターとして、若年層の今の“気分”は非常に気になる所。今回はその“気分”を知る手掛かりとして齊藤環著『承認をめぐる病』を取り上げてみます。この著書自体は、「承認」に限定されず、うつ病から家庭内暴力、解離からキャラと、多種多様な話題を取り扱っていますが、ここでは特に主題である「承認」に言及する部分を重点的に書き出してみました。

若者のサブカルチャーにおいては、コンテンツとコミュニケーションが相互浸透的な関係にあって明確に区分出来ない場合がしばしばある。コンテンツはコミュニケーションの「ネタ」として消費される一方で、コミュニケーションからさまざまなコンテンツがもたらされる例もある。

例えば、「初音ミク」の例。“彼女”は「ボーカロイド」と呼ばれる音楽ソフトである。もっともポピュラーなその実用例は、初音ミクと他の音楽ソフトを組み合わせて楽曲を作り、それを動画投稿サイトにアップロードする、というものである。よい曲であればさまざまな反響が寄せられ、曲に合わせたPVが作成され、新たなアレンジの曲が作られ…と、複数の匿名の作り手が共同で作品を育てていく過程がきわめて興味深い。いわゆるN次創作が自明の前提となっているのだ。ここには「コンテンツ=コミュニケーション」の回路があることだけは疑い得ない。

しかし、「初音ミク」の例はいささかマイナーで特異すぎると言われるかもかもしれない。ならば「AKB48」ならどうだろうか。例えば、楽曲のCDをいかに売るか。AKB48関連の商品では、握手会や投票権などのノベルティを付けることで、ファンがCDなどの商品を複数買いするようにしむける手法がよく知られている。いわば虚構の消費を徹底すればするほど、現実(のアイドル)に介入できる、という仕組みだ。ここにも「コンテンツ=コミュニケーション」の回路があるのだ。

しかし、“AKB商法”の巧妙さは、実はそればかりではない。そこには現在の思春期をとりまくさまざまな問題が、構造的にはめ込まれ、応用すらされているのである。例えば、AKB人気の最大の要因は、それがアイドルの「キャラ消費」システムであるという点だ。一般にアイドル人気は顔の美醜をはじめとする身体的スペックや歌唱力や演技力を含む、各種のスキルなどに依拠するところが大きい、と誤解されがちだ。しかし、実際の人気の維持において最も重要なのは、アイドルの「キャラ」なのである。

「キャラ」とは「キャラクター」の省略形である。日常的には「キャラが立つ」「キャラがかぶる」などのように使用される。キャラクターといっても、必ずしも「性格」を意味しない。「キャラ」とは本質とは無関係な「役割」であり、ある人間関係やグループ内において、その個人の立ち位置を示す座標を意味する。それゆえ所属集団や人間関係が変わると、キャラまで変わってしまうことも珍しくない。

キャラの分化を強力に促進するもう一つの要因が「序列化」である。例えば教室における序列化を考える際、理解しておくべき背景が二つある。「スクールカースト」と「コミュニケーション偏重主義」だ。「スクールカースト」とは、いわば「教室内身分制」である。新学期の教室内ではしばしば複数のグループ(同質集団)が発生する。グループ間には、はっきりとした上下関係があり、極端な場合、個々の生徒たちは、グループを超えて交流することはまずないとされる。「キャラ化」はこうした同質集団内でなされることが多い。それでは、何がスクールカーストの序列を決定づけているのか。「コミュ力」、すなわち「コミュニケーション・スキル」である。

実はAKB48もまた、こうした「序列化」を意図的にシステムに取り込んでいる。それが年に一度開催される「AKB総選挙」だ。こうした序列化の手続きによって、キャラを決定づけるための要因はいっそう複雑化し、メンバーのキャラ分化もいっそう細やかなものへと進化する。スクールカーストが、キャラ分化を促進するのと同様のメカニズムだ。AKBは集団力動にサブグループや序列化といった構造的力動を加味することで、各メンバーのキャラを固定化し可視化するための巧妙なシステムを作り上げた。ファンを動かすのは、単に彼女たちのキャラを消費したいという欲望ばかりではない。投票による序列化を介して、直接「推しメン」のキャラ形成に関わりうることが、彼らをいっそう強く動機づけるのだ。これはある意味、究極の「キャラ消費」システムであり、現時点においてはアイドル消費の最終進化形なのである。

しかし、そもそも「キャラ」とは何のために必要とされたのだろうか。おそらくキャラ文化の最大のメリットは「コミュニケーションの円滑化」である。自分のキャラと相手のキャラが把握されれば、コミュニケーションのモードもおのずから定まる。キャラというコードが便利なのは、もともとの性格が複雑だろうと単純だろうと、一様にキャラという枠組みに引き寄せてしまう力があるからだ。

スクールカーストの成立要件からも理解されるとおり、いまや子どもたちの対人評価軸は、勉強でもスポーツでもなく「コミュ力」に一元化しつつある。私が問題と考えるのは、ここでいう「コミュ力」が必ずしも適切な自己主張とか、議論・説得の技術などを意味しない事だ。大切なのは次の二つ、「場の空気を読む能力」と「笑いを取る能力」なのである。「コミュ力」がこうした文脈依存的な能力であるがゆえに、普遍的なコミュニケーション・スキルとしての価値に届かない場合がしばしばある。しかし最大の問題は、「コミュ力」と「キャラ」が相互依存的な関係におかれていることだろう。キャラはコミュニケーションをスムーズにする反面、自分のキャラを逸脱した行動を常に抑圧するという副作用を併せもつ。つまり、忠実にキャラを演じ続けることで、人格的な成長や成熟が抑え込まれてしまう可能性もあるのだ。

ここまでの検討からわかること、それは、多くの思春期の子供たちにとって「キャラとして承認されること」が最も重要である、ということだ。キャラを与えられないこと、それは教室空間内に「居場所」がないことを意味するからだ。

もちろん、承認欲求そのものは人間にとって普遍的なものだ。最近の傾向として、特異に思われるのは、マズローの欲求段階説(マズローは、人間の基本的欲求を低次から高次まで五段階に分類した。すなわち①生理的欲求②安全の欲求③所属と愛の欲求(関係欲求)④承認の欲求⑤自己実現の欲求である。人間の欲求は低次から高次へと順番に満たされることを求める、とされている。)で言えば、より高次な欲求であるはずの「承認欲求」が全面化し、極端にいえば「衣食住よりも承認」という逆転が見られつつある。しかも、その承認が「キャラとしての承認」であることに問題がある。「キャラとしての承認」を求めること。それは承認の根拠を全面的に他社とのコミュニケーションに依存することだ。

かつて、承認は、ある程度は客観的な評価軸の上で成立していた。能力や才能、成績や経済力、親の地位や家柄などだ。もし、客観的な「承認の基準」がしっかりと確立されていれば、孤独を恐れる必要はない。その基準のもとで、自らを承認することが可能となるからだ。しかし、現代の「承認」については、そうした客観的基準の価値ははるかに後退し、いわば間主観的な「コミュ力」に一元化されつつある。「キャラ」はそうした「承認のしるし」となる。承認を他者にゆだねることは、極端な流動性に身を任せることだ。ある教室では強者たり得ても、次の教室ではどうなるかわからない。所属する集団が変わるたびに承認の基準はリセットされることになる。

若い世代にとっての就労にもやはり同様の傾向が見られる。彼らにとっての就労は、もはや「義務」ではない。彼らが「就労したい」と望むのは、基本的に承認欲求のためなのだ。就労動機の変化は別の言い方でも表現できる。それは「生存の不安」から「実在の不安」へ、という変化である。かつての執着気質の背景にあったものが「生き延びること」への執着と不安であったのに対し、現在の若い世代にとっては、それがさして重要でなくなりつつあるのではないか。かわって前面に出てきたものが「実在の不安」、すなわち「自分は何ものか」「自分の人生に意味があるのか」といった不安ではないか。現代においては「実在の不安」こそが重要であり、軽症うつ病などの原因になりやすい。さらに言えば、この「実在の不安」は先に述べた「承認欲求」と表裏一体の関係のもとで若者の気分を構成しているのである。


70年代までは、実存の不安を解消してくれたのは宗教や思想だった。これが90年代に入ると、「心理学」にとってかわった。2000年代に入って心理学ブームが退潮するとともに前景化してきたのが「コミュニケーション偏重主義」である。いまやそれは単なる「若者の気分」を超えて、一種の職業倫理のようなものににすらなりつつある。その結果としてコミュニカティブであることは無条件に善とみなされ、コミュニケーション・スキルの有無は、就活などをはじめとして、しばしば死活問題に直結する。

最近注目されている若手の社会学者、古市憲寿は、著書『絶望の国の幸福な若者たち』で興味深いデータを紹介している。複数の世論調査によれば、現代の若者たちの多くは、今の生活に満足しているというのだ。「若者の生活満足度や幸福度はこの40年間でほぼ最高の数値を示している。一方で、生活に不安を感じている若者の数も同じくらい高い。そして社会に対する満足度や将来に対する希望を持つ若者の割合は低い」(前掲書)

この、いささか混乱した印象をもたらす結果について、古市は社会学者・大澤真幸の論に依拠しつつ説明を試みる。大澤によれば、人が不幸や不満足を訴えるのは、「今は不幸だけど、将来はより幸せになれるだろう」と考えることができるときだ。逆にいえば、もはや自分がこれ以上は幸せになると思えないとき、人は「今の生活が幸福だ」と答える。若者はもはや将来に希望が描けないからこそ、「今の生活が満足だ」と回答するのではないかと。

「将来、より幸せになるとは思えない」ことは、一見、絶望に似てみえる。しかし、筆者の考えでは、この言葉は「将来、さらに不安になるとは思えない」という感覚と表裏一体なのだ。彼らは絶望しているのではない。ただ変化というものが信じられないのである。もし「今よりも状況は、よくも悪くもならない」と信じられたら、あなたはどう感じるだろうか。おそらく現代の日本社会にあっては、「変化」の可能性そのものを断念することは「そこそこの幸福」を意味するのではないか。古市と筆者との見解の違いはこの点である。未来に絶望しているからこそ「今が幸せ」なのだと彼は指摘するが、筆者はそれを「絶望」ではなく、「あらゆる変化を断念すること」と考えたい。こころから「何も変わらない」と思えたら、多くの人はその感覚を「満足」や「幸福」と“翻訳”してしまうのではないだろうか。

ここで問題となるのは、まさに「コミュニケーション偏重主義」の風潮こそが「変化の断念」をもたらしているのではないかと考えられるからだ。「キャラ」によるコミュニケーションの円滑化とは、相手のリアクションを予想しやすくするという意味もあるが、さらに重要なのは、しばしばコミュニケーションが「キャラの相互確認」に終始することがあるからだ。「お前こういうキャラだろ」というメッセージを再帰的に確認しあうこと。それは情報量のきわめて乏しい「毛づくろい」にも似ているが、親密さを育み承認を交換する機会にとっては最も重要なコミュニケーションでもある。

この種のコミュニケーションの快適さになれてしまった若者たちは、自らに与えられた「キャラ」の同一性を大切にする。成長や成熟を含むあらゆる「変化」は「キャラ」を破壊し仲間との関係にも支障をきたしかねないため忌避されるようになる。コミュニケーション偏重主義が変化の断念をもたらすというのは、おおむねこういった理由による。

現代社会においては多くの個人が成熟によるアイデンティティの獲得ではなく、まずそれぞれのキャラを獲得させられる傾向が前景化しつつある。すでに多くのフィクションが成熟や成長を描くことを放棄しつつあることが徴候的だが、現実においてもキャラ化が成熟困難と結びつきやすい傾向があるのは事実であろう。キャラが同一性のみに奉仕する記号であり、キャラの相互的・再帰的確認がコミュニケーションの主たるモードであるとすれば、それが成熟という「変化」に対して阻害的に働くであろうことは容易に想像できる。

本来、人格の成長、成熟という考え方そのものが、身体的な成熟のアナロジーでしかない。人格の成熟が想像的な位相において生ずるものであるとするなら、その機能がキャラ化とともに後退せざるを得ないのはある種の必然である。身体的成熟のアナロジーとしての人格的成熟概念に代わる、あらたな精神の自由と安定のスタイルが考えられる必要があるだろう。

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一現役ボカロPとして自身の読書メモも兼ねて、また特に現在ボ―カロイドを用いて活動をされている方、これからボーカロイドを使ってみたい、ボカロカルチャーに興味がある、という方に向けてもの凄いざっくりと要点だけまとめてみました。今回は『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』まとめ中編に続く後編。内容には個人的な尺度により端折った部分が多々ありますので、興味を持たれた方は是非、本を手にとって読んでみてね!

第八章 インターネットアンセムの誕生

2011年、それまでニコニコ動画を中心としたネットコミュニティの外側にはなかなか伝わらなかったボーカロイドシーンの熱気が、いよいよ世の中全体を動かしはじめていた。前の章で取り上げた初音ミクの海外進出、ロサンゼルスで実現したライブは、その一つの象徴だ。音楽業界の側も活発に動き始め、この年メジャーデビューを果たしたボカロPたちも、かなりの数に上っている。いわゆるJポップを聴いてきた層にボーカロイド楽曲が届き始めたのも、この頃だ。

そして同年12月。Google社が提供するウェブブラウザ「Chrome」のグローバルキャンペーンとして一本のコマーシャル映像が公開された。それまでレディー・ガガやジャスティン・ビーバーなどの人気アーティストを起用してきたシリーズに日本発のアイコンとして初音ミクが起用された。このCMは、初音ミクが巻き起こした現象の一つの到達点となった。何より大きな意味を持ったのは、キャラクターとしての初音ミクではなく、そのムーブメントを支えたクリエイターの一人一人にフォーカスを当てた事だった。タグライン(キャッチコピー)は「Everyone, Creator」。いわばウェブの「日本代表」として、初音ミクとクリエイターたちにスポットが当たったのだった。

このCMのために楽曲「Tell Your World」を作ったのがlivetuneのkzだった。「初音ミクが世に出て四年以上経ちましたけど、ソーシャルメディア的なものが進化したのが、この四年間だと思うんです。そんな状況が起こした現象、変えたものとはなんだったんだろう?という疑問に、そのまま答えたのが「Tell Your World」なんです。インターネットを通じてたくさんの人とつながることで、イラストや動画、ダンスなど、クリエイター同士の縁が広がっていくんですね。そんなインターネットのすごさを、もっと感動的にとらえてもいいんじゃないかと思ったんです。」

2012年の夏には、この「Tell Your World」に対しての、一つのアンサーソングも登場している。曲名は「ODDS & ENDS」。作ったのはsupercellのryoだ。この曲は、数多くのボカロPがメジャーデビューを果たした2011年以降の状況に対してのアンサーソングにもなっている。ryo自身も含め、ボカロPとしてデビューしながら、その後にボーカリストを起用した音楽制作に軸足を移し、ボーカロイドから離れていく人気ボカロPも少なくなかった。そういったシーンの状況を初音ミクからの視点で描いたのがこの曲だ。メジャーデビューを果たし、傍目には華々しい成功を収めているように見える数々のボカロP。一見、状況を謳歌しているようにも見える。しかし、だからこそ彼らが抱えている葛藤や悩みにも踏み込んだ楽曲になっている。

「Tell Your World」に「ODDS & ENDS」。それは、同時代を生きた沢山の人にとって「自分たちの歌」になった。前者はインターネットを通じて誰かと繋がることができた人にとって。後者は居場所を追われて膝を抱えてうずくまっている人にとって。「自分の代わりに、自分のことを歌ってくれている」。そういう風に胸に突き刺さる曲が生まれた。アンセムとは、そういうものだ。

そして、もう一つ大きい意味を持っていたのは「ODDS & ENDS」は、失われた「熱」について歌った曲でもあった、ということだ。初音ミクを巡る現象は、確実に変質していた。ボカロPは次々とメジャーデビューを果たし、音楽業界の中で成功を掴むようになっていた。しかし、それは、初期のアマチュアリズムが後退し、DIYな場所だからこそ生まれるプリミティブな熱気が減少したことも意味していた。

第九章 浮世絵化するJポップとボーカロイド

2012年はムーブメントの変質が徐々に明らかになっていった時期でもあった。それは商業化によって勃興期の熱気が失われたという変化でもあった。しかし、勃興期の熱気である二度の「サマー・オブ・ラブ」が終わっても、ロックという音楽が死に絶えることはなかったし、クラブカルチャー自体が廃れることもなかった。むしろその後の10年にそれぞれの「黄金期」とも言うべき時代を迎えている。ブームは去っても、カルチャーは死なない。この章では、そういう視点で10年代のボーカロイドシーンを語っていこうと思う。

重要な楽曲は二つ。一つが黒うさP(WhiteFlame)による「千本桜」。そしてもう一つが、じん(自然の敵P)による「カゲロウデイズ」だ。この二曲は、どちらも投稿直後から爆発的な人気を呼び、その後のシーンの流れを決定づけた。そしてボーカロイドだけでなく、2010年代に登場してきた新しいJポップの潮流を象徴するような楽曲になった。

「千本桜」が人気を獲得した理由はどこにあったのだろうか?楽曲には日本人の情緒に訴える要素が絶妙に配置されていた。ピアノロックをベースにした疾走感あるリズムに、「和」のテイストを活かした曲調、唱歌や童謡にも用いられる「ニロ抜き短音階」を巧みに使った旋律。特にピアノのリフとサビのメロディは一度聴いたら耳から離れないキャッチーさを持っていた。

さらに、黒うさPが持ち味としていた楽曲の持つ物語的な要素が、この曲をロングヒットに結びつけた。「千本桜」は、明治~大正時代のハイカラな情景が未来に蘇ったような異世界を描く歌詞と、細かく練られた背景設定を持っている。それゆえ、楽曲がヒットした時もメディアミックス的な展開は容易だった。そして「物語化」が曲の人気を加速させた。2013年3月には、楽曲をノベライズした『小説千本桜』が発売され、『音楽劇千本桜』として、ミュージカル化もされている。2010年代最大のボーカロイドシーン発のヒット曲は「物語音楽」として受け入れられ、メディアミックス的な展開と共に定着していったのである。

そして、もう一つのヒット曲が、じん(自然の敵P)による「カゲロウデイズ」だ。彼もやはり「物語音楽」のクリエイターである。しかも、ストーリー性を持った楽曲を発表するだけでなく、その一曲一曲が連作として連なり、その歌詞の内容が自身で執筆した小説ともリンクする大きな物語世界を構築していた。映画の原作と監督と劇伴音楽を一人でやっているような作家である。

「カゲロウプロジェクト」について何より印象的なのは、これが「疎外された子供たち」の物語だということ。それぞれの曲の主人公たちに、学校や家庭、つまり大人たちの社会で上手くやっているようなキャラクターは誰もいない。「カゲロウプロジェクト」のテーマソングとも言える「チルドレンレコード」の歌詞の一節には「少年少女前を向け」という言葉がある。この曲には、じん自身が10代の時に音楽から貰ったと感じたバトンを、「これは自分の代わりに歌ってくれている歌だ」という熱そのものを届けたいという意思が、核心の部分に宿っている。だからこそ、この曲は10代に刺さったのだろう。

「千本桜」や「カゲロウデイズ」は、「物語音楽」としての音楽消費のされ方だけでなく、楽曲の傾向、音楽性における面でも、2010年代に入ってからのボーカロイドシーンに生まれた新しい潮流を象徴する楽曲になっている。その特徴はスピード感のあるメロディに沢山の言葉を詰め込んだ、情報量の多いサウンドである。テンポが速く、ビートやメロディの譜割が細かく、とにかく沢山の音符を詰め込んだような楽曲だ。

こうした傾向は何故生まれたのか。それは、00年代の後半以降、Jポップと「洋楽」の流れが切り離された、いわばガラパゴス的な音楽性の進化によるものと言えるだろう。同様の流れはロックバンドやアニソンやアイドルポップなども含めた様々なシーンで生まれている。精巧で、細密で、手数が多くて、日本独自の進化を遂げた音楽。洋楽コンプレックスから解き放たれ、マーティ・フリードマンいわくの「あえてハッピー、あえて派手、あえてカラフル」な楽曲が次々と産み落とされるようになった10年代の音楽シーンを「Jポップの浮世絵化」と見立てることもできるのではないだろうか。

第一〇章 初音ミクと「死」の境界線

もはやボーカロイドを「アマチュアの遊び道具」だと鼻で笑うような人はほとんどいなくなった。初音ミクが、プロの音楽家、キャリアのあるクリエイターが本気で挑む対象として捉えられるようにもなっていた。その象徴が、2012年11月に東京オペラシティコンサートホールにて初演された冨田勲の『イーハトーヴ交響曲』、そして2012年12月にYCAMで初演された世界初のボーカロイドオペラ『THE END』だった。音楽家・アーティストの渋谷慶一郎と演出家・劇作家・小説家の岡田利規によるコラボレーション作品として制作された『THE END』は、2013年5月にも東京・Bunkamuraオーチャードホールで上演された。

そして、2013年11月。渋谷慶一郎と初音ミクによる新作オペラ公演『THE END』は、フランス・パリへの上陸を果たした。歌手もオーケストラも一切登場しない世界初のボーカロイド・オペラとして上演されたこの作品。舞台となったのは、十九世紀に設立され、設立150年を超える由緒正しきオペラ会場だ。YCAMでの初演を成功させた渋谷慶一郎が、劇場支配人のジャン=リュック・ショプラン氏に直談判で話を持ちかけた。トレイラー映像を見たショプラン氏は即決で公演を決めたという。

その成功は単に「バーチャルアイドルの初音ミクが海外でも人気になった」ということとは、少し違った意味をもつものだった。特に、フランスでは日本のポップカルチャー人気がすでに定着している。現地の報道でも、初音ミクを育ててきたネット上のカルチャーやJポップの海外進出と、今回の『THE END』は「違う文脈である」ということが、はっきりと語られていた。むしろ、今回の公演の成功は、伝統的なオペラに革新をもたらしたという意味で、音楽の歴史に残る可能性を持つ偉業になったのだ。

誕生から6年。最初は無邪気にネギを振っていた初音ミクは、遂にフランスのオペラの殿堂にまで辿り着いた。最初は誰もがイロモノだと思っていたキャラクターは、シャトレ座の劇場支配人が、コクトーやピカソやサティやニジンスキーのような芸術史上の偉人と並べて語るところまで辿り着いた。初音ミクが、音楽史を、芸術の歴史を塗り替えていく。

終章 未来へのリファレンス

※終章はクリプトン社、伊藤博之社長へのインタビューとなっており、重要な部分ばかりでまとめきれなかったので、個人的に特に印象的だった箇所を抜粋してお届けします。

奇跡的なタイミングで様々な線が交わって、一つの点が生まれたわけです。その点の交わりのところに、初音ミクというソフトウェアとその現象が生まれた。要は火が起きたわけですよね。そのせっかく起きた火をどうやったら消さずに、維持できるか。僕らが考えてきたのはそのところだけだった。今、その火が消えずに6年、7年と燃え続けているということは、そこに燃料が投下されているということでもあり、よくぞ定着したなという実感はありますね。燃料の部分は沢山のクリエイターたちが担ってきたものなんです。クリエイティブな活動に関しては我々が関与することはないし、そもそもそれはできない。ウチは、火が風に吹き消されてしまわないように覆いを作ったり、なるべく空気がフレッシュになるように換気をしたり、そういう部分を担当してきたということなんです。

今は第三の革命の『情報革命』の真っ只中にいる。コンピューターができてからせいぜい5、60年くらいです。今はようやくインターネットという神経網のようなものが地球に巡らされて始めた頃。まだまだ情報革命は始まったばかりだと思いますね。大局的に見ると、今はまだ、まさに人類の歴史に大きな波がくる直前だと思うんです。その先に何が起きるかというのは、僕には当然わからないわけです。ただ僕にはミクが起こした小さな赤い炎が見えた。すごく大勢の人たちが、何の見返りもないのにもかかわらず、よってたかって新しい創作に取り組んでいる状況があった。

ニコ動全体に占める再生数で、『ボーカロイド』や『歌ってみた』、要するにボーカロイドから派生した動画に対する再生数が、ウチの調べでは2013年のゴールデンウィークくらいからだいぶ落ち込んでいるという印象があります。『サード・サマー・オブ・ラブ』が、過去のファーストとセカンドが5、6年くらいで終焉を迎えていったっていうことをなぞるとするならば、今のボーカロイドのムーブメントはそろそろ終焉を迎えていくかもしれないし、その可能性はあります。

僕らがこれから力を入れるべき部分は、ボーカロイドにおける音楽とテクノロジーについての側面です。基本的にまだまだ先は長いと思ってるんですよ。そもそも、先ほど話したように、情報革命がライフスタイルにもたらすインパクトは、全然こんなもんじゃない。農業革命や産業革命のビフォー・アフターの差と比べると、情報革命のビフォー・アフターの差って、まだそんなにないんです。情報革命がそんな情けないレベルで終わるはずはないと思っているんです。もっとドラスティックな変化が数十年先に起こるはずだし、そこにターゲットを絞りつつ、直近のボーカロイドのブームを見ています。

音楽というアウトプットは、もはや音楽だけでは成立しなくなっている。みんな動画で聴きますしね。歌詞がドーンと大きく映し出されたり、大抵ビジュアルが伴う。それが、物語的な音楽を生み出す土壌にもなっている。だから、非常にハイブリッドなわけです。You Tube以降の時代に生まれる新しい音楽文化はこういうものだという、一つの明示になっているわけですよね。

僕らは、クリエイターに『お金が儲かるからやりましょう』と言ったことは一度もないんです。お金が儲かるっていうことがだけがクリエイティブの唯一のゴールではなくて、人に喜ばれるとか、感動させるだとか、それによって自分にできることが増えていくこともゴールとして捉える。この先に音楽の原盤でお金を儲けることは多分難しくなっていくと思いますが、お金以外にも自分の生きがいを見つけることはできる。そして、ここから先は単なる直感ですけれど、お金という概念がいつまで世の中の主流であり続けるかもわからないですからね。情報革命の行きつく先は、価値のパラダイムシフトだと思っていますから。

未来というものが可視化できないと、具体的にイメージできないと、人は未来に対してポジティブになれないと思うんです。今、幸いにして『初音ミク』という一つのシンボルのようなものが生まれた。なので、僕らの立ち位置としては、音楽テクノロジーを通して未来をポジティブに設計していきたい。音楽を通して、多くの人に機会を提供して、クリエイティブな創作活動のきっかけを提供していきたい。僕らにできるのは、それだけですからね。

一現役ボカロPとして自身の読書メモも兼ねて、また特に現在ボ―カロイドを用いて活動をされている方、これからボーカロイドを使ってみたい、ボカロカルチャーに興味がある、という方に向けてもの凄いざっくりと要点だけまとめてみました。今回は『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』まとめ前編に続く中編。いよいよ初音ミクが発売になり、ボカロカルチャーが形成されていく勃興期から、隆盛期にかけてのお話です。個人的な尺度により端折った部分が多々ありますので、興味を持たれた方は是非、本を手にとって読んでみてね!

<第二部>

第五章 「現象」は何故生まれたか

ニワンゴ・杉本誠司氏は、ニコニコ動画のユーザーに初音ミクが受け入れられた背景に、MAD文化の著作権侵害問題があったと指摘する。「多くのユーザーがやりたいことは、単純に音楽を聴くことではなく、日常的にみんなで一つの話題を共有する会話空間を作ること、またその話題を提供する役回りになることだったんです。そのことに気づいたユーザーたちは『商用のコンテンツを用いたものを投稿すると削除されてしまうのであれば、代用できるものを探そう』と考えた。初音ミクは最初は『代用品』として受け入れられていったのだと思います。」

2007年8月31日の初音ミク発売後、9月13日にOSTER Project『恋するVOC@LOID』が、9月20日にikamo『みくみくにしてあげる♪【してやんよ】』がニコニコ動画に投稿され、大きな注目を集める。この2曲の評判から、ボーカロイドでオリジナル曲を作る流れが生まれる。

クリプトン社・伊藤氏も初音ミクが作り出した新しい状況を目の当たりにすることになる。「まず動画サイトに楽曲が投稿された。それは特に驚くことではないし、ある意味当然のことだった。びっくりしたのは、星の数ほどイラストがネットに上に投稿されたこと。また、誰かが作ったコンテンツを元に、それをさらに上書きするようなコンテンツが生まれ、それが日々公開されていた。」初音ミクは、アマチュアの表現がネット上で互いに呼応する、一つの新しい文化現象を生み出したのである。あらゆるコンテンツが互いに元ネタになって派生しあう「N次創作」の現象が生まれた。

11月には、再生数、コメント数、マイリスト数をポイント集計した「週刊VOCALOIDランキング」というチャート番組風の動画がsippotan氏により投稿され、毎週更新されるようになる。「どんな動画、どんな曲が受けているか」が可視化されたことで、コミュニティは徐々に大きくなっていった。

同年12月3日、クリプトン社はコンテンツ投稿サイト「ピアプロ」を開設し、「キャラクター利用のガイドライン」を発表した。初音ミク発売直後から、クリプトン社には利用許諾に関する問い合わせが相次いだという。創作の連鎖を促進するために、自分は何をすべきか?伊藤氏は考えた。初音ミクは、ユーザーたちの創作を結びつける「ハブ」のように機能していた。しかしキャラクターの公式イラストの著作権はクリプトン社が持っている。この「原則NG」を「原則OK」に転換すべく発行されたのが、「キャラクター利用のガイドライン」だった。

ボーカロイドの現象は何故生まれたのか?それは初音ミクというキャラクターがクリエイター達の想像力を喚起したから、そして初音ミクという一つの「ハブ」を元に創造の連鎖が起こったからだった。目的はまず自分の満足。そして自分の属するコミュニティでそれが認められたら何よりの報酬になる。そういった行動原則をもつクリエイター達が、偶然のタイミングのもとに集まった。初音ミクは単なるキャラクター人気としてのブームではなく、クリエイター達の創作が重なりあうムーブメントとして広まっていったのだ。

第六章 電子の歌姫に「自我」が芽生えたとき

次第に、初音ミクのキャラクターだけでなく、作り手であるボカロPにも注目が集まり、クリエイターが人気を獲得する流れが生まれてくる。先駆者となったのは、後にlivetuneとしてデビューを果たすkz。彼は初音ミク発売後のわずか1ヶ月後、2007年9月25日にオリジナル曲「Packaged」を投稿している。そしてもう一人、後にsupercellのサウンドコンポーザーとしてメジャーデビュー果たすryoだ。彼が同年12月7日にニコニコ動画に投稿した「メルト」は、その後のシーンの流れを決定づける大きな意味を持つ曲になった。

「メルト」のヒットは、作家としてボカロPの存在に光をあてるきっかけになった。そして、もう一つ、この曲はキャラクターとしての初音ミクの役割を大きく広げた曲にもなった。初期のボカロ曲は、「パソコンの中にいるみんなの歌姫」である初音ミクを主役にして歌詞を書いたものが中心だ。しかし、「メルト」の歌詞の主人公は初音ミク自身ではなく、ryoが思い描いた少女。その心情をミクがシンガーとして表現する。この曲は初音ミクがシンガーとして「ポップソング」を歌って広く受け入れられた初めての曲になった。以降、 ボカロ曲は作り手の心情を投影した楽曲として、クリエイターの個性や世界観に注目が集まるようになる。

「メルト」が巻き起こした現象は、実はもう一つ、その後のシーンの流れを決定づける重要な側面を持っていた。アマチュアの「歌い手」が、派生作品の一種としてボーカロイド楽曲を歌う「歌ってみた」動画の投稿が始まったのである。端緒を切ったのは、ryoが「メルト」の原曲を投稿した5日後、12月12日に「歌ってみた」動画を投稿したhalyosy。翌日にはやなぎなぎによる「歌ってみた」動画が投稿され、その日のニコニコ動画の総合マイリスト登録ランキングで一つの曲が上位を独占する「メルトショック」とよばれる自体を巻き起こす。これが人気の爆発に火をつけた。

第七章 拡大する「遊び」が音楽産業を変えた

2008年8月に、livetuneがビクターエンターテインメントから、2009年3月にはsupercellがソニー・ミュージックエンターテインメントからメジャーデビューを果たし、アルバムはオリコン週間ランキングではそれぞれ五位、四位を記録した。初音ミクを用いた楽曲がヒットチャートに乗ったことは、ボカロPたちにとっても、それを楽しんできたネットユーザーたちにとっても、快挙と受け止められる出来事だった。音楽業界側も、少しずつ新しい波に気づき始め、2009年からは、ボーカロイド楽曲を集めたコンピレーションアルバムが企画され、ヒットを記録するようになる。こうして、初音ミクはヒットチャート上に存在感を示していく。

2009年以降は先駆者となった、livetuneやsupercellの成功に刺激を受けたクリエイター達が、続々と脚光を浴びていった。たとえば、2009年にそれぞれ「二足歩行」「エレクトリック・ラブ」というヒット曲を投稿したDECO*27と八王子Pは、ともにlivetuneに憧れてボーカロイドを手にした作り手だ。彼らのようなクリエイターが憧れる目線の先には「電子の歌姫」としての初音ミクだけでなく、それを駆使して新しい音楽表現の可能性を切り開き成功を果たしたクリエイターの姿があった。キャラクターへの愛情が表現を駆動していた2007年~2008年にかけての時期と違い、先達クリエイターへの憧れをモチベーションにしたボカロPたちが登場し始めた。それが2009年から2010年にかけての変化だった。

この時期は、ボーカロイドシーンに商業化の傾向が生まれ、その波が徐々に音楽業界にも地殻変動を起こしていた時代だった。そのことを示す一つの徴候として、カラオケの年間ランキング上位に、ボーカロイドを用いた楽曲が登場し始めたことが挙げられる。しかし当初は、カラオケでいくらボーカロイド楽曲が歌われても、その曲の作者に印税収入が入ることはなかった。カラオケ店から徴収された著作権使用料の分配を受けるためには、JASRACに自分の作った楽曲を信託する必要があったのだが、ほとんどのボカロPがそうしなかったのである。

新しい動きが生まれたのが2010年夏、「ニコニコ生放送」で行われた討論番組だった。その時の様子をJOYSOUNDを運営する株式会社エクシング企画担当の小林拓人氏はこう語る。「ニコ生でやった討論番組は、その後の考え方の軸が生まれる一つのきっかけになったと思います。そこでカラオケにおける著作権の仕組みも広く知られるようになりましたし、手法としてはJASRACに預けるのが一番いいのではないかというムードが生まれた。これを機に各社準備を始めて、2010年11月くらいのタイミングで、特定支分権だけをJASRACに信託する形になりました。」この「部分信託」の仕組みによって、ボカロPたちはネットでの自由な楽曲の使用を許諾しながらカラオケによる収入を得ることが可能になった。

※ボカロ曲のカラオケ関連の話に関しては、コチラもとても参考になると思います!歌いにくいからこそ歌われる――ボカロ曲がカラオケで人気な理由、JOYSOUNDに聞いた カギは「攻略」

2009年には、ボーカロイドによる初の本格的なライブイベントも開催された。端緒を開いたのは、スタジオコーストで行われた『ミクフェス'09(夏)』だ。舞台には透過式のスクリーン(ディラッドスクリーン)が置かれ、そこに裏側から初音ミクの姿が投射される。透明スクリーンの背後にいる演奏陣と一緒に映し出された「まるでそこにいるかのように」見える初音ミクに向かってファンが盛り上がる。

そして、ステージという「場所」を獲得した初音ミクは、いよいよ海外への進出も果たすことになる。2011年5月には、米国トヨタのCMに初音ミクが起用される。そして、同年7月2日には、アメリカ・ロサンゼルスで初のアメリカ公演『MIKUNOPOLICE in LOS ANGELES 初めまして、初音ミクです』が開催された。ほんの数年前に、ネット上の「遊び場」から始まった新しい文化は、こうして2011年の夏、世界にまで届いたのだ。
一現役ボカロPとして自身の読書メモも兼ねて、また特に現在ボ―カロイドを用いて活動をされている方、これからボーカロイドを使ってみたい、ボカロカルチャーに興味がある、という方に向けてもの凄いざっくりと要点だけまとめてみました。個人的な尺度により端折った部分が多々ありますので、興味を持たれた方は是非、本を手にとって読んでみてね!

序章 僕らはサード・サマー・オブ・ラブの時代を生きていた

これは「終わりの始まり」だ。インターネットの普及が音楽産業を疲弊させ、カルチャー全体を衰退させていく。そんな風に信じられていたのが、2007年の風景だった。しかし、インターネットは、音楽を殺さなかった。特に日本においては、海外に全く存在しない独自の音楽文化が数年間で瞬く間に拡大している。それを牽引したのは新しい世代のクリエイターと、彼らが用いたボーカロイドというソフトウェアだった。振り返ってみれば、2007年は、インターネットや音楽を巡る数々のサービスが生み出された年でもあった。インターネット上で音楽をともに楽しむことのできる新しい仕組みが、世界中で同時多発的に生まれていたのが、この頃だった。1967年アメリカの「サマー・オブ・ラブ」、1987年イギリスの「セカンド・サマー・オブ・ラブ」と同じように、2007年の日本のインターネットには「新しい遊び場」があった。そこには誰でも参加できる、小さな、しかし自由なコミュニティがあった。その中心に音楽があった。そう考えれば、初音ミクの登場が巻き起こした現象を「サード・サマー・オブ・ラブ」と見立てる事が出来るのではないだろうか?

<第一部>

第一章 初音ミクが生まれるまで

初音ミクの登場する二十年前にあったのは、様々な機材の普及によって、音楽制作の門戸がアマチュアに開かれた時代だった。シンセサイザーやサンプラーやMTR、コンピューターを使って誰もが手軽に音楽を作ることが出来る。さらには、愛好家たちが集い、作品を紹介する「場」としてのコミュニティが生まれた。こうしてDIY精神が育まれ、それがDTM文化の発展に繋がった。ある日突然「電子の歌姫」が誕生して、未曾有の現象を巻き起こしたわけではない。その土壌には、80年代から脈々と発展を続けてきた宅録ミュージシャンたちの静かな楽園があった。また、初音ミクの生みの親であるクリプトン社代表取締役社長・伊藤博之氏はその当事者であり、クリプトン社の設立もその流れの上にあった。

第二章 ヒッピーたちの見果てぬ夢

60年代後半のアメリカ西海岸に、一つのカウンターカルチャーの熱狂が生まれた。そこに生まれたビッグバンが、その後のコンピューターとインターネットの発展の歴史に、大きな影響を与えた。そのことこそが、初音ミクのルーツを辿っていく先に60年代の「サマー・オブ・ラブ」を見出すことができる、最大の理由なのである。二度の「サマー・オブ・ラブ」とボーカロイドのシーンに共通するものは何か、それを探る中で何度も耳にしたのが「遊び場」という言葉だった。それまでに存在しなかった、新しい遊び場から、新しい文化が生まれる。そこから新たなアートフォームと価値観が生まれ、結果、それが世界を変える。それがムーブメントの本質にあるものだった。

第三章 デイジー・ベルからボーカロイドへ

2000年、後に大きなムーブメントを生み出す歌声合成の技術が、研究室で静かに産声を上げた。初期の開発プロジェクトの名前は「DAISY」。それは、コンピューターが世界で初めて歌った曲「デイジー・ベル」に敬意を払ってつけられた名前だった。1961年、ベル研究所でIBM7094という名の巨大なコンピューターシステムが実際に歌ったのが、この歌だったのだ。楽器としてのボーカロイドの歴史、つまりコンピューターによる歌声合成技術の源流を辿ると、やはり60年代のアメリカに辿り着くのである。

第四章 初音ミク誕生前夜

2003年2月ヤマハは歌声合成技術「VOCALOID」の発表を行った。2004年の11月には、クリプトン社が日本初のボーカロイドソフト「MEIKO」をリリースする。発売されたばかりのMEIKOに飛びついたのは、主に新しもの好きのDTMユーザーだった。だから、話題が続かないと、市場はどんどん小さくなっていく。次の製品として発売した「KAITO」の売れ行き低迷もあり、2006年時点でボーカロイドというものが話題に上ること自体がほとんどなくなっていた。

2007年1月にヤマハは新たな歌声合成エンジン「VOCALOID 2」を発表する。初代よりも人間に近く、よりなめらかで自然な歌声を再現できる技術だ。しかし、ソフトウェアが売れるかどうかは未知数だ。ヒットしなかったら開発がストップするかもしれない。クリプトンもその危機的な状況は共有していた。そんな中で、初音ミクは「キャラクター・ボーカル・シリーズ」と銘打たれたラインナップの、最初のキャラクターとして開発が進んでいった。単なる音声合成ソフトウェアではなく、声優・藤田咲さんのロリータボイスを採用した、バーチャルアイドルとして彼女は位置づけられた。

発売と同時に火がついた要因はどこにあったのだろうか?初音ミクに飛びついた最初のボカロPたちはどこにいた人たちだったのか?そこには、もう一つ、初音ミク「前夜」に育っていた土壌があった。それは00年代の前半から中盤にかけて徐々に拡大してきた「同人音楽」という文化フィールドだった。そこには誰もがクリエイターになれる機会があった。それだけでなく、CGM(消費者生成メディア)やUGC(ユーザー生成コンテンツ)という言葉が生まれる前から、すでに同人音楽シーンはその定義通りの場所として成立していた。そして、何よりDTMで音楽を制作するクリエイターたちには、「電子の歌姫」を渇望する素朴な欲求があった。

そして、初音ミクが現象を巻き起こす最大の要因になったのが、ニコニコ動画の登場だった。ニコニコ動画でボーカロイドよりも先に花開いていたのは、MAD文化だった。アニメ主題歌やゲーム音楽を中心に様々なMADが投稿されたが、その中でも最も人気を集めたのが、アイドル育成シュミレーションゲーム『THE IDOLM@STER』の関連動画だった。アイドルマスターとアイマスMADのブームを経て、「二次元のバーチャルアイドルを『プロデュース』する」という欲求と需要は大きく広がっていた。キャラクターの歌声を求める下地は、ニコニコ動画という場にすでに用意されていた。だからこそ、初音ミクは当初から爆発的なヒットを記録したのだ。第一部は、主に初音ミク誕生以前の文化的背景についてのお話。60年代アメリカのヒッピーカルチャーとロックを主体とした「サマー・オブ・ラブ」と、80年代イギリスのクラブカルチャー「セカンド・サマー・オブ・ラブ」が、ボカロシーンとどのような関連性が見てとれるのか?「セカンド・サマー・オブ・ラブ」に関しての言及は少なく、主に60年代アメリカとの関連を指摘する箇所が多い印象でした。世界初のコンピューターの歌声や、この記事では端折ってしまいましたがムーグシンセに言及する部分も60年代アメリカでの出来事。キーワードは『新しい遊び場』『自由なコミュニティ』『DIY精神』そして『テクノロジーの進歩』といったトコロでしょうか。第四章からいよいよ現代に戻り、初音ミクの起してきた“現象”を追体験していきます。
※著者の柴那典さんのブログにて序章が公開されております!
初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』序章公開
プロフィール
HN:
Hizuru Pilgrim
性別:
男性
自己紹介:
09年インディーズレーベル"What a Wonderful World"を立ち上げ、同名のコンセプトアルバムをリリース。トラックメイキングの傍らドラムンベースDJも少々。

現在はmirgliP名義でのボカロ曲投稿を中心に活動中!これまでの投稿動画はコチラ

twitter : @mirgliPilgrim
Mail : pilgrim_breaks@hotmail.co.jp


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