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Hizuru Pilgrimによる徒然なるブログ。
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一現役ボカロPとして自身の読書メモも兼ねて、また特に現在ボ―カロイドを用いて活動をされている方、これからボーカロイドを使ってみたい、ボカロカルチャーに興味がある、という方に向けてもの凄いざっくりと要点だけまとめてみました。個人的な尺度により端折った部分が多々ありますので、興味を持たれた方は是非、本を手にとって読んでみてね!

序章 僕らはサード・サマー・オブ・ラブの時代を生きていた

これは「終わりの始まり」だ。インターネットの普及が音楽産業を疲弊させ、カルチャー全体を衰退させていく。そんな風に信じられていたのが、2007年の風景だった。しかし、インターネットは、音楽を殺さなかった。特に日本においては、海外に全く存在しない独自の音楽文化が数年間で瞬く間に拡大している。それを牽引したのは新しい世代のクリエイターと、彼らが用いたボーカロイドというソフトウェアだった。振り返ってみれば、2007年は、インターネットや音楽を巡る数々のサービスが生み出された年でもあった。インターネット上で音楽をともに楽しむことのできる新しい仕組みが、世界中で同時多発的に生まれていたのが、この頃だった。1967年アメリカの「サマー・オブ・ラブ」、1987年イギリスの「セカンド・サマー・オブ・ラブ」と同じように、2007年の日本のインターネットには「新しい遊び場」があった。そこには誰でも参加できる、小さな、しかし自由なコミュニティがあった。その中心に音楽があった。そう考えれば、初音ミクの登場が巻き起こした現象を「サード・サマー・オブ・ラブ」と見立てる事が出来るのではないだろうか?

<第一部>

第一章 初音ミクが生まれるまで

初音ミクの登場する二十年前にあったのは、様々な機材の普及によって、音楽制作の門戸がアマチュアに開かれた時代だった。シンセサイザーやサンプラーやMTR、コンピューターを使って誰もが手軽に音楽を作ることが出来る。さらには、愛好家たちが集い、作品を紹介する「場」としてのコミュニティが生まれた。こうしてDIY精神が育まれ、それがDTM文化の発展に繋がった。ある日突然「電子の歌姫」が誕生して、未曾有の現象を巻き起こしたわけではない。その土壌には、80年代から脈々と発展を続けてきた宅録ミュージシャンたちの静かな楽園があった。また、初音ミクの生みの親であるクリプトン社代表取締役社長・伊藤博之氏はその当事者であり、クリプトン社の設立もその流れの上にあった。

第二章 ヒッピーたちの見果てぬ夢

60年代後半のアメリカ西海岸に、一つのカウンターカルチャーの熱狂が生まれた。そこに生まれたビッグバンが、その後のコンピューターとインターネットの発展の歴史に、大きな影響を与えた。そのことこそが、初音ミクのルーツを辿っていく先に60年代の「サマー・オブ・ラブ」を見出すことができる、最大の理由なのである。二度の「サマー・オブ・ラブ」とボーカロイドのシーンに共通するものは何か、それを探る中で何度も耳にしたのが「遊び場」という言葉だった。それまでに存在しなかった、新しい遊び場から、新しい文化が生まれる。そこから新たなアートフォームと価値観が生まれ、結果、それが世界を変える。それがムーブメントの本質にあるものだった。

第三章 デイジー・ベルからボーカロイドへ

2000年、後に大きなムーブメントを生み出す歌声合成の技術が、研究室で静かに産声を上げた。初期の開発プロジェクトの名前は「DAISY」。それは、コンピューターが世界で初めて歌った曲「デイジー・ベル」に敬意を払ってつけられた名前だった。1961年、ベル研究所でIBM7094という名の巨大なコンピューターシステムが実際に歌ったのが、この歌だったのだ。楽器としてのボーカロイドの歴史、つまりコンピューターによる歌声合成技術の源流を辿ると、やはり60年代のアメリカに辿り着くのである。

第四章 初音ミク誕生前夜

2003年2月ヤマハは歌声合成技術「VOCALOID」の発表を行った。2004年の11月には、クリプトン社が日本初のボーカロイドソフト「MEIKO」をリリースする。発売されたばかりのMEIKOに飛びついたのは、主に新しもの好きのDTMユーザーだった。だから、話題が続かないと、市場はどんどん小さくなっていく。次の製品として発売した「KAITO」の売れ行き低迷もあり、2006年時点でボーカロイドというものが話題に上ること自体がほとんどなくなっていた。

2007年1月にヤマハは新たな歌声合成エンジン「VOCALOID 2」を発表する。初代よりも人間に近く、よりなめらかで自然な歌声を再現できる技術だ。しかし、ソフトウェアが売れるかどうかは未知数だ。ヒットしなかったら開発がストップするかもしれない。クリプトンもその危機的な状況は共有していた。そんな中で、初音ミクは「キャラクター・ボーカル・シリーズ」と銘打たれたラインナップの、最初のキャラクターとして開発が進んでいった。単なる音声合成ソフトウェアではなく、声優・藤田咲さんのロリータボイスを採用した、バーチャルアイドルとして彼女は位置づけられた。

発売と同時に火がついた要因はどこにあったのだろうか?初音ミクに飛びついた最初のボカロPたちはどこにいた人たちだったのか?そこには、もう一つ、初音ミク「前夜」に育っていた土壌があった。それは00年代の前半から中盤にかけて徐々に拡大してきた「同人音楽」という文化フィールドだった。そこには誰もがクリエイターになれる機会があった。それだけでなく、CGM(消費者生成メディア)やUGC(ユーザー生成コンテンツ)という言葉が生まれる前から、すでに同人音楽シーンはその定義通りの場所として成立していた。そして、何よりDTMで音楽を制作するクリエイターたちには、「電子の歌姫」を渇望する素朴な欲求があった。

そして、初音ミクが現象を巻き起こす最大の要因になったのが、ニコニコ動画の登場だった。ニコニコ動画でボーカロイドよりも先に花開いていたのは、MAD文化だった。アニメ主題歌やゲーム音楽を中心に様々なMADが投稿されたが、その中でも最も人気を集めたのが、アイドル育成シュミレーションゲーム『THE IDOLM@STER』の関連動画だった。アイドルマスターとアイマスMADのブームを経て、「二次元のバーチャルアイドルを『プロデュース』する」という欲求と需要は大きく広がっていた。キャラクターの歌声を求める下地は、ニコニコ動画という場にすでに用意されていた。だからこそ、初音ミクは当初から爆発的なヒットを記録したのだ。第一部は、主に初音ミク誕生以前の文化的背景についてのお話。60年代アメリカのヒッピーカルチャーとロックを主体とした「サマー・オブ・ラブ」と、80年代イギリスのクラブカルチャー「セカンド・サマー・オブ・ラブ」が、ボカロシーンとどのような関連性が見てとれるのか?「セカンド・サマー・オブ・ラブ」に関しての言及は少なく、主に60年代アメリカとの関連を指摘する箇所が多い印象でした。世界初のコンピューターの歌声や、この記事では端折ってしまいましたがムーグシンセに言及する部分も60年代アメリカでの出来事。キーワードは『新しい遊び場』『自由なコミュニティ』『DIY精神』そして『テクノロジーの進歩』といったトコロでしょうか。第四章からいよいよ現代に戻り、初音ミクの起してきた“現象”を追体験していきます。
※著者の柴那典さんのブログにて序章が公開されております!
初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』序章公開
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プロフィール
HN:
Hizuru Pilgrim
性別:
男性
自己紹介:
09年インディーズレーベル"What a Wonderful World"を立ち上げ、同名のコンセプトアルバムをリリース。トラックメイキングの傍らドラムンベースDJも少々。

現在はmirgliP名義でのボカロ曲投稿を中心に活動中!これまでの投稿動画はコチラ

twitter : @mirgliPilgrim
Mail : pilgrim_breaks@hotmail.co.jp


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